| 1 テレマーク世界選手権の歩みとTAJ 1987-2001 三谷玉枝 | |
| 2 世界選手権&ワールドカップの歩み 2001-2007 畑 あやの | |
| 3 世界選手権ワールドカップ年表 |
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| 年報用原稿 (2000年9月 記:三谷 玉枝) |
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| 記:畑 あやの |
2001年 ワールドカップ最終戦 Val Thorens (FRA) 2001年は、フランスのVal Thorensにてワールドカップ最終戦が開催された。レースは、GS,SP、CLの3種目が1レースずつ開催された。 2002年 ワールドカップ最終戦 ティン(tyin)(NOR) 2002年には、ノルウェーのティンにてワールドカップ最終戦が開催された。この大会では、GS,SP,CLが12日間にわたり2レースずつ開催され、長期間の大会となった。 2003年 *世界選手権 ビッグマウンテン(アメリカ) *ワールドカップ最終戦 クリスタルマウンテン(アメリカ) 参加選手 上野英孝 大河内延明 松澤幸靖 藤田昭平 中田隆司 佐治晋輔 本間公規 吉岡博満 藤川健 人野麻由美 宮沢恵美 園田佳代 畑あやの 2003年は、アメリカのクリスタルマウンテンでワールドカップファイナルが開催され、同じくアメリカのビッグマウンテンで世界選手権が開催され、日本からは男子9名女子4名と多くの選手を輩出することができた。また、2000年以降3年ぶりに女子選手を世界に輩出することができた。この年の大会に参加した選手の中には、数週間前から現地の環境での生活になれることと、トレーニングを目的とし滞在する姿も見受けられた。 最初に訪れたクリスタルマウンテンでは、スキー場内のホテルに他国選手と共に滞在し、朝食以外の食事は自炊の予定だったが、ホテル室内での喫煙は勿論、匂いのきつい食べ物の飲食や、調理が硬く禁止されていたため、やむ終えず近くのコンビニ、もしくはピザのデリバリーで空腹を満たした。また、ワクシングルームも用意されておらず、ホテル広間のベランダに、バイスを設置し、新聞をチューンナップを行うものもおれば、床に直接板を置き、強引に行う者もいた。 ジャンプや、バンクなども、日本ではみることのできない高さがあり、バンクも大きくコースに圧倒された。 レースが始まると、自分のスタート順がまわってくるまでの間、体を冷やさないようアップし続ける選手や、歌を歌いだしたり、大声をだすなどし、おのおののスタイルで緊張緩和し、自分の世界へと入り込んでいく選手達。 レースは、ノルウェー勢を中心に展開されていったが、女子に限っては、ノルウェーに加え、スイス、フランスのエースが上位を争う形となった。 次に、会場をビッグマウンテンへと移し、世界選手権が開催された。ビッグマウンテンでは、スキー場付近のホテルに滞在したのだが、ワクシングルームが完備され、そのほかにジャグジー、サウナなどの娯楽施設も備わり、そして、毎朝自由に飲むことのできる、モーニングコーヒーブースが設けられ、リラックスした環境で試合に臨むことができた。2年に1度の世界選手権ということもあり、地元の応援団も駆けつけ、また、レース前には、参加国選手全員で、町を練り歩くパレードも催され、地元の歓迎を受けながらの開催となった。 コースは、スキー場の山頂から山ろくまでを杯使用した長距離で、ジャンプも160センチを越す巨大なものが仕上がり、さらに圧倒されることとなった。コースが長いため、スターとのインターバルも非常に長く、体長管理に気を配る必要性があった。 また、現地の天候は芳しくなく、GSが開催日にはガスでレースが中止となり、翌日、GSの再レースとSPが開催され、過酷な1日となった。 この大会でも、男子は北欧勢、女子はヨーロッパ勢が安定したすべりを見せ上位を占めた。 大会終了後には、地元レストランにてパーティーが催され、他国選手との交流を深め合い、バンドの演奏を聴いたり楽しく、忘れられないひと時をすごすことができた。 2004年 *ワールドカップ リューカン(NOR) *ワールドカップファイナル バイトストーレン(NOR) 参加選手 上野英孝 依田賢太郎 本間公規 人野麻由美 畑あやの 2004年は、ノルウェーのリューカン及びバイトストーレンにてワールドカップが開催され、日本からは男子3名女子2名の選手が参加した。開催地がテレマークの本場ノルウェーということもあり、どちらの大会にも地元テレマーカーや多くの住民が応援に駆けつけた。まず、向かったリューカンではコテージが用意され、自炊生活をすることとなり、ノルウェーサーモンのオーブン焼き、サンドウィッチなどを作り楽しく生活した。スキー場まではコテージから徒歩約5分。ブーツと板を担ぎ毎朝通った。大会ではウェーブだらけのコースと、スタートからゴールまで一望できるコースの2つが使用され、地元ファンの声援にこたえるかのようにノルウェー勢が上位を占めた。 そして、次の大会に参加するためオスロから数時間バスを乗り、バイトストーレンへと移動した。バイトストーレンでは、参加選手全員が同じホテル内に滞在し、食事も用意された。スキー場までの移動は、車、もしくはバスでの移動で主催者側が用意するという話だったのだが、あいにく用意がされておらず、ワンボックスタイプのタクシーで移動することとなった。スキー場は、レストハウス1軒のみのこじんまりとしたスキー場で、スタートまではTバーで移動した。昼食は、レストハウス前に鉄板が用意され、その場で肉を焼きパンも振舞われた。 大会前日には、コース上にポールがはられトレーニングコースが開放され、他国の選手の滑りをじっくりみることができよい刺激となった。しかし、選手の中には、ちょっとした気の緩みから、腕を骨折してしまう選手や、大たい骨を骨折しヘリで搬送される選手もおり、場は一時騒然とした。 レースは毎年恒例のGS,SPCLの3種目が開催され、小さいチームではあったが、日本チームはこの大会で多くの成績を残すことが出来た。 まず、世界大会2度目の挑戦となる上野英孝選手が、この大会だけに設けられた特別賞、「今大会に参加した選手の中で最も遠くまでジャンプを飛んだ選手」として世界bPの座を獲得し、一方女子の畑あやの(あじゃ)選手が、19歳未満の選手で競われるジュニア部門で、GS4位、CL6位に入賞し男女共に、日本の存在を世界にアピールすることが出来た。 2005年 *ワールドカップファイナル バイトストーレン(NOR) *世界選手権 リューカン(NOR) 参加選手 上野英孝 大河内延明 松澤幸靖 久田重太 橋谷水樹 泉谷政人 安池真 藤川健 安池直子 依田淳子 畑あやの ![]() 2005年は、昨年に続きワールドカップファイナルがノルウェーのリューカンで、そして世界選手権がノルウェーのバイトストーレンで開催された。この大会に日本から参加した選手の中には、大会数日前から現地で滞在し、雪上トレーニングを実施する選手もおり、大会に対する意気込みを感じることが出来た。 まず、開催されたバイトストーレンでの世界選手権では、昨シーズンの反省も踏まえ、スキー場までの交通手段や、食事の質の向上などがなされていた。スキー場までは、バスが用意され、他国選手と共に和気藹々と移動し、食事も、フルコースとまではいかないものの、スープとメイン、そしてデザートが付き、選手のストレスが少しでも減らせるようにという主催者側の気配りがなされたいた。 レースで使用されたコースは、うねりが強く、次の旗門が見えない箇所があり、また、クロスカントリーのコースを完備しているスキー場であったため、長距離に及ぶランセクションに苦しめられることとなった。大会にはレースを観戦するため、ノルウェーの女王陛下がお出ましになり、地元ニュースにも取り上げられるなど、ノルウェーの人々にとってテレマークがごく身近な存在であるという、日本との大きな違いに驚かされた。 そして、会場をリューカンへと移し、ワールドカップの最終戦が開催された。この大会で使用されたコースは、スタートからゴールまでが一望できるコースで、地元応援団も多く駆けつけ、ランセクションではあちこちから声援やカウベルの音が鳴り響き、ファンも、選手も共に楽しむことのできたレースであった。そんな中、日本のエース上野英孝選手が勢いかつ安定感のある滑りを見せ、SPで日本過去最高となる5位入賞を果たした。 日本人がこのように表彰台に上るのは始めての快挙で、世界からの注目を浴びると同時に、今後世界を目指す日本人選手に大きな夢と希望を与える結果となった。 2006年 *ワールドカップ マイリンゲン(SWI) 参加選手 上野英孝 園田佳代 畑あやの 監督兼カメラマンとして whitedepot 鈴木繋二 2006年は、スイスのマイリンゲンにてワールドカップが開催された。日本からは、選手3名とカメラマンとして札幌でチューンナップショップを経営する鈴木繋二氏が参加した。この遠征では、日本出発の飛行機の中で畑あやの(あじゃ)選手が貧血で倒れ、現地に到着すると、昨年に続き入賞が期待されていた上野選手が急性胃腸炎に感染し入院するというアクシデントに見舞われ、少人数参加の日本にとっては、厳しい遠征となった。 チューリッヒから電車で数時間のところに、マイリンゲンは位置し、その一角に設けられたゴンドラ乗り場からスキー場へと向かった。この大会では、アメリカ、スペインチームと同じホテルに滞在し、食事も一緒にとることとなった。食事は、スープに始まりデザートに終わるフルコースで、旅とレースの疲れで疲労困憊の体にムチを打ち2時間以上の時間を費やした。 スキー場は前面オフピステで、雪崩が時々発生するためクローズになることもあった。そのようなスキー場に圧雪車が入り、仕上がったコースは片斜のテクニカルなものとなった。ジャンプも今までのように、勢い良く突入すれば、ラインを超えられるというものではなく、踏み切りとそのタイミングが重要となった。また、標高も1800mと高くそのため天候が変化しやすく、レース2日目の男子SPは天候悪化のため中止となった。 レースが終わると、翌日の予定や、本日の反省などを行う『チームキャプテンズミーティング』が開催され、それに参加しなければいけなかったりとあわただしい毎日を過ごした。しかしながら、この大会でも、女子の畑選手がSPで日本人女子初となる6位入賞を果たし、昨年の上野選手に続き、成績を残すことが出来た。 大会最終日になると、入院生活を余儀なくされていた上野選手が復活し、選手全員で大会に参加することができた。 今大会では、鈴木繋二氏がカメラマンとして同行してくださり、数多くの徹底的瞬間を写真に収めその様子は、同年に販売されたスキーグラフィック6月号に、上野選手の記事と共に、掲載され始めて日本の多くのスキーヤーにテレマークレースの存在を伝えることが出来た。 2007年 *世界選手権 ティオン2000(SWI) 参加選手 上野英孝 藤川健 松澤幸靖 久田重太 橋谷水樹 福島邦男 吉岡博満 吉田時男 山口清一 依田賢太郎 園田佳代 安池直子 伊藤奈生子 高橋絵里子 畑あやの 2007年には、2年に一度の世界選手権がスイスのティオン2000で開催された。日本からは、世界最年長参加となった山口清一選手を含む、男子15名、女子4名の選手が参加した。 ジュネーブ空港から電車で約2時間先のシオンという町にある、標高2000mを越すスキー場がティオン2000だ。そのような高地での生活になれていないため、具合を悪く選手も中にはおり、厳しいレースを強いられた。選手は、スキー場内のコンドミニアムに滞在し、朝食は、コーヒーにハム、パンのような外国ならではのスタイルで、昼食は、スキー場の一角にテントを構え、ジャガイモ、スープのような軽食が振る回れ、夕食は、肉をメインにデザートも振舞われるなど、食事は全て用意された。 レースは毎年恒例のGS,SP,CLの3種目が開催された。レースバーンは青光りする氷が一面に張り巡らされたような硬いバーンで、其の上スタート地点は無論、ゴール地点も標高が2000m近くあったため、凍りつくような冷たく薄い空気が選手の体力を蝕んだ。クラシックレースの際は、ゴール直後、倒れこむ選手も多く見かけた。 また、この大会では、選手がレース中に人口降雪機に衝突しヘリで搬送され、現地の病院にそのまま入院し、手術するという大事故も発生し、現場は一時騒然とした。(現在、被害にあった選手は日常生活に差し支えない程度まで回復している。) レースは、北欧勢を中心に展開されたが、カナダやスイスなど他国選手の成長も感じさせられる大会となった。特に、カナダの選手は、この世界選手権に向け、選手が集まり合宿を行うなどしチームとしての質を高めることに成功している。また、ノルウェー、スイス、アメリカなどから多くのジュニア選手が送り込まれ、次世代選手の育成にも力を入れ始める国が多く、ベテラン選手に劣らない素晴らしい滑りを見せた。 次の世界選手権は2009年にオーストリアのクライッシュベルグで開催される予定だ。現在TAJでは選手強化部を設立し、選手強化及び育成にのりだそうとしている。選手強化部発足1回目となる2009年の世界選手権で、世界があっと驚くような日本チームに出会えることを期待したい。 |