| Spur テレマークスキーヤー シュプールに刻む想い 山本由紀男 1948年生まれ。テレマークスキーヤー。ひらふ地区在住。 日本テレマークスキー協会初代会長。 The niseko local issue (発行 ヤマノコ・デザイン) YAMALOCO(ヤマロコ) vol.4 winter 2007 より原文のまま |
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| 山本さん、子どもの頃の話, 『この辺じゃ3歳くらいから皆スキーを履く。スキーを履く。スキーを履かなきや何にもできなかったから。学校にも行けない。その頃はパウダーしかなかった。 一生懸命踏んで固めても昼飯食って帰ってきたらもう債もってる。雪の量も多かった。圧雪の斜面を滑れるようになったのは中学生くらいから。それまではパウダーの滑り方しか知らなかった』 続いて昔、お客さんを連れて楽しませていた様子。 「昔はこの近くに沼があってさ。冬でも湧き水が入って凍らない水温で。水面が黒く見えるほど魚がいて釣りができた。まず晴れた日はここからクロカンで沼に行って釣り。そこでコーヒーを沸かして飲んで。その後帰ってきてパウダーを滑る。パウダーがなくなる事は無いから」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 取材当日、昼頃に時間の確認のため山本さんの携帯に電話を入れた。 「今、花3(花園第3リフト)にいるので20分後位には(滑って)戻ります」との返事。 ひらふで生まれ育ち、ニセコで滑り始めて56年。かつては宿を営み、長い間ニセコの楽しさを伝えてきた人でもある。それはここがペンション街と呼ばれるずっと前から。 そして最近その愛好者が増えてきたテレマークスキーでは国内のパイオニア。世界でもはじめてのテレマークスキーの国単位での協会、日本テレマーク協会をつくった。滑ってきたばかりの山本さんに今のニセコについて、雪山について、その想いを伺った。 |
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東尾根「東尾根と呼ばれている斜面は、標高差500m位の斜面。今はほとんどゲレンデ感覚になってしまっているけれど、本当に巨大で素晴らしい斜面。そういうところは遊び半分でダラダラすべっちやいけないところだと思ってる。行くならきちっと行って滑る、というのが深雪を楽しませてもらっている雪だとか斜面に対する礼儀、という気持ちが僕にはある」 今回の取材の意図―――ニセコのこれまでと今、そしてテレマークスキーについて聞きたい。―――を説明した後、真っ先に口にしたのはニセコのスキーの歴史に関連した東尾根の話題。 東尾根とは、ニセコアンヌプリ山頂から降りる斜面のひとつの俗称でスキー場エリア外。この、スキー場が入っている山「ニセコアンヌプリ」ではリフトを併用すると比較的容易に到達できることから多くのスキーヤー、スノーボーダー達が山頂を目指す。そして東尾根は滑走後にゲレンデに帰ってきやすいことから人気の滑走エリアとなっている。今の滑り手たちが自分の技量や後から来る滑走者の事を顧みず、その斜面に望み、ひたすら横切ってしまったり、行ったり来たりして雪面を「ぐじゃぐじゃに」してしまう現状を「罰当りな行為だ」と嘆く。 「コース脇のパウダーがぐじゃぐじゃになるのはしょうがないこと。だけど東尾根、北斜面のような素晴らしい斜面では、下まで止まらず思ったシュプールをつけていく事が僕等に課せられている。それはいねば晴れの舞台のようなもので、そのためにリフト脇とか沢に入って一生懸命練習する。今の人たちにはシュプ−ルとかトラックをつけるという考えがないみたいで、自分が滑る、という行為が楽しみのほとんどを占めている。滑った後はどうでもいいと思っている。僕等にとっては自分が滑るという行為と雪面に自分が滑った跡を描くという両方がすごく大事。今は自分が滑った後も他の人がガーと滑ってなくなってしまうけど、僕らの時代は次に雪が降ろまで残っていた。それがあちこちから見えるわけで。山の状況に合わせてどうやってシュプールを切るかがすごく大事だった」 滑って雪面にシュプール、トラックを刻むことを「山に絵を描く」と表現する。 「シュプールというのは本当に大事。僕が生まれた頃の写真なんだけど、三浦敬三さんの『黒いシュプール』という写真がある。銀板の上の自分が滑ってきたシュプールを斜面の下から見上げる写真なんだけど、その写真は僕等にとってはムービーよりもたくさんのことを語りかけてくる」 ニセコ ニセコのスキーの歴史は昭和一桁の時代から始まっているという。リフトが架かるずっと前の時代。 「ここではリフトが架かったからスキーが始まったんじゃなくて、スキーをしていた場所にリフトが架かったんだ」 その頃から日本のスキー愛好家達の間ではニセコは特別な場所だった。毎日のように降る上質の雪、巨大な斜面、羊蹄山、そしてニセコ連峰。様々な時代背景の中、ニセコは多くのスキー愛好家達に愛され続けてきた。その長い歴史の先に今の若い世代によるニセコパウダーの再発見があり、現在に至る。脈々と受け継がれてきたニセコのスキーの歴史。その先頭に自分達がいると言う認識を今滑っている人達に持ってもらいたいと山本さんは言う。 「歴史を引きずっていてもしょうが無いという考え方もあるけど、そういった歴史が現在に繋がっている認識無しには、僕にとっては現在って成り立だない。昔からの人たちがここが好きで滑ってきて、僕もそれを目撃しているし、その人たちの感情や情熱みたいなものが今でもここに浮いていると思う。その人たちが死んでしまってもここはそういう人たちがスキーライフを楽しんだ場所。そういう歴史を考えるともう少し気を引き締めて滑る気持ちがあってもいいんじゃないかと思う。同じ斜面を滑るにしても何十年もたくさんの人たちが楽しんできた場所なんだと、自分達が見つけた自分達の場所ではないと、そういうつもりでもうちょっと大事に楽しんで欲しい。自分が降りた後、誰かが降りるんだから。自分だけじゃないんだから」 歴史の認識だけでなく、感性も問われることだと山本さんは続ける。 「今はもう人がいっぱいになって感じないかもしれないけど、もし夜になって大きな斜面の上にひとりで立っていればどんな状況なのか感性のない人でもわかると思う。何らかの物を感じるんじゃないか。人がいるとただの斜面に感じるけど。これまで多くの人が楽しんだり、死んだりした場所。ニセコはほとんどの場所で人が亡くなっている。みんなそれぞれ好きな場所があってずっと滑ってきた。僕には単純に公園とか遊び場とは思えない」 |
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テレマーク 山本さんはテレマークスキーを自然とうまく融合できる道具だという。 「ゲレンデやゲレンデ脇滑るのも楽しいんだけど、ニセコの山の場合は標高800〜900(m)から上が森林限界から上で、その800から上っていうのがほとんど繋がってるんだよね。テレマークみたいな道具を使うと、ここを滑りあそこを滑りっていうのが簡単に出来ちゃう。そういうパターンをやると特別テレマークの良さみたいなものが分かる。滑るのはアルペン(スキー)も楽しいし、テレマークが特別楽しいわけじゃないと思う。アルペンもかかとが上がる道具とかが開発されたんで同じって言えば同じなんだけど。一時期そういうものがなかなか出来ない時代があって」 機動力があるテレマークスキーはニセコの山々を楽しむにはもってこいの道具。山本さんは自身がスキー学校をやっていた時代にテレマークスキーと出会った。テレマークスキーの歴史は古いがアルペンスキーが開発されて以降、長い間日の目を見なかった。30年程前に北米でクロカンの道具が改造されそのスタイルが復活。その現代テレマーク創生期、道具もまだ未熟だったころから山本さんはテレマークで滑っている。 「あの頃は日本のテレマーカーの9割がニセコに滑りに来ていてみんな知りあいだった」 それほどその愛好者の数は少なく、その後も足踏み状態だったが、近年その数はかなり増え、山やスキー場で良く見かけるようになった。 「僕等はワイスからぐるっと裏側まわってニト、チセとか、山(アンヌプリ)下りてイワオ登ってニト登ってチセとか、そういうのを力むことなく普通にやってた。今はあんまりそういう事をする人はいないみたいね」 |
![]() 山本さん19歳の頃 |
| 今はもう、壊れてしまって無いが、ニセコ連山縦走の基点となる山小屋をワイスホルンに自力で作った事がある。テントを背負って登って滑るということもしていたが、その当時のテントを背負って滑るのはかなり重くて足にもくる。 「コロラドとかユタ、ノルウエーやなんかでもあるんだけど、『ハット・トウ・ハット』っていう山小屋から山小屋へ行って一週間から十日とかツアーをする形式があって。そういう遊び方っていうのはいいだろうなと。寝袋だけ持って」 小屋を建てるといっても、山の中、簡単な事ではない。 「土地を探して、そこに毎月テント張って、積雪とか色んな調査をして。で、3年後に全然車の入らない所を全部資材を担ぎ上げて。熊笹を刈って道を作って・・・で(小屋を)作って。しばらく僕等は使ったけどそういうことをする人口は増えなかった」と、少し残念そうに話す。 局所的にパウダーを滑る、というだけでない雪や斜面の楽しみ方もあると山本さんは言う。 「例えば、行って日が上がるのを小屋から見てたり、夕日が落ちる時に小屋にいたりとか、そういうのは特別なもの。まるで日常にはないもの。何年かに一遍ずつはそういう体験をした方が良い気がする。機械で行って、ばばーと滑る場所ではなくて。雪の積もったエリアそのものが特別なものなんだという気特ちになれるんじゃないかと思うけどね。休みが短かったり色んな状況もあるんだろうけど」 ひらふ 「ニセコブーム」「ニセコバブル」などと呼ばれテレビや新聞にその変貌ぶりが報道されているニセコひらふ地区。行政が「ニセコを国際的リゾートに!」と盛り上がる一方、地域の住民達の中にはこの急速な変化やブーム後のニセコについて心配の声を漏らす者も少なくない。山本さんはここ1,2年ひらふの景観問題に携わり、地域の人達や国や道といった行政機関の人達と話す機会を得ているという。 「世界一のリゾートにしてあげるとかっていう話が出てくるんだけど、ここは世界一のリゾートでもないし、世界一のリゾートになれるとも思ってない。すごく良い雪のあるスキー場にそういうのが好きな外国人が集まってスキーをやってるという。それに追従した資本が入ってきて、その中でビジネスを展開しようとしているだけの話。リゾートは施設じゃない。施設は大きな要因だけど、リゾートは全体の環境と施設とそこで働く人とそこに来るお客さんが作り上げる物。それらが揃わなかったら出来ない。小ぢんまりとしたリゾートを作る要素はニセコにはあると思う。世界一ではないにしても、すごく良いリゾートを作る要素はあると思う。それを生かすに はアプローチがあまりにもビジネスに向いている。金儲けとリゾートとは別の問題だと思う。金儲けが先に走っている。いいと思うんだ、施設をつくるのも。否定はしない。それとリゾートをつくるって話は、話が全然違う。それをごっちゃにして、オブラートに包んで国だとか道は成功例みたいな話にまとめたいんだと思う。現実にはそういうことではない。だからそういう国際とかリゾートっていう尻馬に乗らないでもうちょっときちっと自分たちの足元を見なきやいけないと思う」 山本さんは様々な世界中のスキーリゾートを実際に見て体験してきた。 「環境的にここより素晴らしい所は掃いて捨てるほどある。ここより努力を百倍してるスキー場は掃いて捨てるほどある。掃いて捨てるほどある中の一つだという事を認識して、そこから離脱して世界の中でも有数のというところを目指すのであれば、それは死ぬ思いでやらなかったらできない事だよね」 実は山本さんは「すっごいリゾート好き」とのこと。 「好きなリゾートっていくつもあって。いつも思うんだけど、行くとわかんないけど、自然に笑ってんだよね。なんか自分で突然気付いたら。ああ嬉しいんだなって思う。ほんとに。で楽しい。そのなかでルールを守って遊んでればとても楽しい。でも自分の好きなリゾートとここを比べると、それはあまりにも差がありすぎてギャップがあまりにもありすぎて分からないくらい。ツェルマットだとかシャモニーだとかサンモリッツだとかっていう話が(会議の場に)出てくるわけなんだけど。3,4年努力をしてがんばってそれに近い状態にするには、って考えた時に、全くどうしたらいいかと言う方策すら見えない位ギャップがある。ホントに思うけど『ツエルマットを見なさい』って偉い先生が来て言うんだけど、蹴っ飛ばしたくなる。帰れって言いたくなる。冗談抜きで。ホントに」 スキー場を運営して、スキーが好きな人がいっぱい来るから、宿をつくるレストランをつくる、お土産品屋をつくる。という形の村づくりではあってもリゾート作りとは関係ない、と山本さん。 「その積み重ねがリゾートになるって考えてたら問題。でも道も国もそれがリゾートになるって言ってる」 |
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慰労会かつてスキー場のふもとで宿を経営していた視点からの意見。 「若い人たちに迎合して施設を作ってしまった反省があると言いながら。今は海外からの長期滞在客に対応した施設を作らなきやいけないということを平気で言う。それって迎合って言うんじじゃないの?そのために国や道が施設を作るって言うんだったら、今までボーナスをはたいてこのスキー場にお金を落としていってくれた日本人ってなんだったのって思う。あんたたち何かやったのって。なんにもしなかったじゃない。町なんかはここのことを『山』って呼んで阻害だしさ。その中で僕等は個別にやってかなきゃなんなかった。お客さんを獲得しながら。色んな所に連れてったりして。色んな楽しみをやって、『来年もやろうね』って言って、長いスパンのお客さんを(獲得して)そうやって一生懸命やって来たスキー場なのにさ。今突然さ。何か儲かる仕組みかわかんないけど、全部ウェルカムで、どんどんやらなきゃだめみたいな見方で。ころっと変わってしまうのは何なのか考え直さなきやだめだと思う」 また、海外からのお客さんを受け入れる努力と同時に今までニセコのスキー場を支えてきてくれたお客さんを大切にする努力もすべきじやないか、と。 「僕と同じくらいの年代のこれから退職する人達、若い頃みんなスキーに来てくれて、中間来れなかった時期があるけれども、落ち着いて来れるようになった人を『おかえりなさい、ニセコってやっぱりいいっしょっ』ていうパターンで受け入れる努力をすべきだと思う。そんな中でオーストラリア人が来るのは来るのでいいと思う。何が何でも国際国際というのではなくて。これから退職する人たちが大量に出てくるわけだから。そういう人たちが元気に夏に山登ったり色んな事やってるでしょ。今は道具も良くなったし滑りやすくなったんでそういう道具を使えば簡単に体力使わなくても滑れるし。冬休みや春休みは孫なんかを連れてね。一時期スキー場を支えた人達をもう一度呼んで慰労会をしてあげたいね。オーストラリア、ウェルカムも分からないでもないけど。だから日本人を無視するんじゃなくて。努力するんだったらそういう努力もすべきだと思う。かつてこのスキー場は札幌や小樽、室蘭などからの日帰りのスキーヤーにも支えられてなんとか育ってきたスキー場。今は日帰りとか一泊の人たちは問題外だというのは罰当りじゃないのと。やっぱり今まで支えてくれた日本人が戻ってくるような環境作りっていうのも必要なんじゃないかと思う」 また、色々な才能を持った人たちが周辺に移住してきている中、そのパワーを集結できれば、と期待する。「開発業者に反対する勢力をつくるんではなく、状況を分析して少しでも良い方向へ向けられるような」 そして地域をより良いものにしていく事について、考え方をもつと広く全般的なことに向けて、タイムスパンも今のそれより膨らませ長くして考える必要があるんじやないかと言う。 再び東尾根 かつては冬も含め年間,200日位釣りをしていた程の釣り好きだったが、ある時から全く辞めたのだという。それは、当時の釣り人たちのマナーの悪さ、モラルの無さに辟易し、「同じになりたくない」と思った。また魚が減った事に対して「自分が辞めればいいんだと気付いた」から。すでに失われてしまった自然のフィールドに対して「本当はもっと環境を保全すべきだった」という反省もある。「保全しようと行動したが十分なお金が無かった」という経験もした。 自然と遊ぶにはルールが必要。山本さんが訪れた海外のリゾートでは色々なルールがあったという。 「(その地域住民の間での)細かい問題は色々あるけど、ルールを守っていればきちんと楽しめる」 東尾根をはじめ大切にすべきニセコの雪山斜面に関しても「斜面を順番につかうしくみ、ルールがあれば少しは使えるようになる。なるべくガチャガチャとトラバースしないで手前の方から、もしくは上のほうから滑る、そういうふうにしようよと、ルールを作るべき。安全に対するルールも大切だけど、限られた資源だって考えたらパウダーの斜面をどういう風に使ったらより多くの人たちが楽しく滑れるか真剣に考えてルール作りをして。今のニセコローカルルールのようにこんな形で楽しみましょうよ、と言う提案をしていかないと限られた場所が有効につかえない。自分たちが登ったとこだから好きに使うのあたりまえよなんて、何文句言うんだって話になるんだろうけどそうではないと思う。宿の人もそれを認識して。2時間もしたら滑るべき所が何も無いっていうのは問題だと思う。そういう事を真剣に考えるべき」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 山本さんは穏やかに、時折笑いを交えて、尚且つ真剣に山はどの想いを話してくれた。昔の事を話すときは少し誇らしげに。 「こんなにしゃべるのは最近見た事がない」とは隣のキッチンで聞いていた奥さんの弁。 辞去する時、テレマークをかじり始めた僕に「今度テレマーク一緒にやりましょう」と言ってくれた。 了 |
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